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東京高等裁判所 昭和27年(行ナ)8号 判決

原告 レ・ユジーヌ・ド・メル 外一名

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告等の訴訟代理人は「特許庁が、同庁昭和十四年抗告審判第六〇三号事件につき、昭和二十六年十一月一日になした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

原告等の訴訟代理人は請求の原因として、

一、原告等は、西暦千九百三十七年(昭和十二年)十月二十六日にその本国なる仏蘭西国で行つた特許出願に基いて優先権を主張してその発明に係る「澱紛質物質を糖化の目的に於て処理する方法」(以下本願方法と略称する)につき、昭和十二年十二月二十一日特許庁に対し特許出願をしたところ、特許庁は昭和十三年十二月二十二日日本国特許第六八一五一号(出願大正十四年八月七日、公告大正十五年一月二十五日、特許大正十五年四月二十七日)明細書(以下引用刊行物と略称する)を引用し、本願方法はその特許出願前国内に頒布せられた右引用刊行物に記載せられ公知に属するものであると言う理由で拒絶査定をし、原告等は昭和十四年四月二十四日特許庁に対し抗告審判の請求をし、同事件は同庁昭和十四年抗告審判第六〇三号事件として審理されたところ、昭和二十六年十一月一日右抗告審判請求は成り立たない旨の審決がなされ、右審決書は同月八日原告等に到達した。(尚右抗告審判については昭和十七年六月二十三日に右抗告審判請求は相立たないとの審決がなされ、続いて原告等の上告に基き大審院に於て昭和十八年四月二十日右上告を棄却するとの判決がなされたけれども、以上の手続は昭和二十四年八月十六日政令第三百九号連合国人工業所有権戦後措置令第七条に基いて原告等がなした申請によりすべて無効となり、手続は日木国と原告等の本国仏蘭西国との戦争開始の日なる昭和十六年十二月八日の現状に回復された。)

二、審決はその理由に於て、先ず本願方法の要旨が、「粗製澱粉材料を低温若しくは常温において、純粋の水若しくは鉱酸を含有する水を以て、拡散式、或は浸漬式の装置を使用して系統的に洗滌して鉱物質物質を除去し、該洗滌澱粉をそのまま糖化処理に附する澱粉材料の糖化方法に存するもの」であり、又引用刊行物第二頁第四行乃至第八行に、「澱粉糖製造原料たる粗製澱粉含有物は、澱粉以外に種々の有機無機性夾雑物を含有して居り、澱粉を酸糖化する前にかかる夾雑物を分離する必要がある旨記載され、この夾雑物を除去するため先ず澱粉含有原料を粉末状態となして温水(澱粉の糊化温度以下)を以て攪拌処理すること」について記載されてあることを認定し、次いで両者を比較して、「両者は酸糖化前の粗製澱粉材料を純粋の水で処理して、鉱物質物質(無機性夾雑物)を除去する点に於て一致し、唯本願は粗製澱粉材料は如何なる形において使用するものなるかについて限定なく洗滌処理には拡散式或は浸漬式の装置を使用すること洗滌水は低温若しくは常温の純水を用いることに限定したのに対し、引例は粗製澱粉材料を粉末とした点、洗滌水を澱粉の糊化温度以下の温水として用いた点及び洗滌装置を限定しない点で相違するに過ぎない」として、その一致点及び相違点を明確にした上相違点につき、「本願の粗製澱粉材料の形については何等限定するところがないから勿論引例のように粉末状態のものとして処理するも差支ないものと認められ、又洗滌水としての本願の低温若しくは常温の純水即ち冷水と引例の温水とは斯る材料から鉱物質を除去するためのものとしては均等物と認められ而も系統的洗滌に用いる拡散式或は浸漬式の装置は本願の明細書第六頁第五行以下にも記載してある様に従来公知のものに過ぎない」とし、更に進んで「要するに本願方法は粗製澱粉材料を公知の拡散式或は浸漬式の洗滌装置を用いて水で系統的に洗滌し含有する鉱物質夾雑物を溶解除去し、そのまま酸糖化するに過ぎないもので、このようなことは前記引例の澱粉を酸糖化するに先だち粗製澱粉材料を温水で処理して含有無機性夾雑物を除去する公知事実から当業者の容易に実施し得られる程度のもので発明を構成するものと認めることはできない」と結論している。

三、然しながら審決には次の通り本願方法の解釈を誤つた点その他の違法な点が存する。即ち、

(イ)  審決の認定した通り本願方法の明細書には明らかに粗製澱粉材料の形を限定した記載はない。而して粗製澱粉材料を使用するに当り特に微細な粉末状態に於て使用する必要のあるときはその旨を明示すべきであるのに、このような記載のない本願方法に於ては特に微細な粉末状態とすることは必要とされてないものと解すべきであつて、このことは発明の詳細なる説明中に示された実施例第一の『水分十二%ヲ含ム粗粉砕「マニオツク」百瓩』との記載、第二の『柔キ甘藷百瓩ヲ根切具ノ種類ノ装置ヲ以テ削キ切リ水分十二%ニ達スル迄乾燥シ』との記載及び第三の『前記ノ如ク削キ切リテ乾燥セサルモノ百瓩』との記載によつて明らかである。之に反して引用刊行物には、「先ツ澱粉含有原料ヲ出来得ル限リ微細ナル粉末状態トナシ」との記載があり、又その実施例には、「先ツ澱粉含有原料ヲ出来得ル限リ微細ニ粉砕シ」と記載されていることにより明らかなように、引用例の方法に於ては澱粉含有原料を可及的微細な粉末状態とすることを必要とするものである。而して工業生産の過程に於て原料を微細な粉末状態とする必要ある引用例と、その必要のない本願方法とは、その設備の点に於て、操作の点に於て、労力の点に於て、又費用の点に於て大なる差異のあることは自明の理であり、引用例が前記の通り澱粉含有原料を、「出来得ル限り微細ナ粉末状態」にすることを要求していることは引用例が本願方法の可能なることを否定していることを示すものである。

然るに審決が、「本願の粗製澱粉材料の形については何等限定するところがないから勿論引例のように粉末状態のものとして処理するも差支ないものと認め」、前記の重大な差異を無視したのは、本願方法の解釈を誤り、前記の工業上の自明の理を無視した違法のものである。

(ロ)  審決は粗製澱粉含有物を洗滌又は攪拌処理する水につき、本願方法が「純粋の水若しくは鉱酸を含有する水を」使用するものであり、引用例が「温水」を使用するものであることを認定しながら、「両者は酸糖化前の粗製澱粉材料を純粋の水で処理して鉱物質物質を除去する点に於て一致」するものとしているけれども、鉱酸を含有する水を使用するときは純粋の水を使用するよりも鉱物質物質を除去するに極めて有効であるのみならず、この溶液が澱粉含有物に温和の温度に於て長時間接触することにより、該溶液が澱粉含有物の総ての部分に侵入し、後の加水分解作用を受けさせるに極めて利益があるものであり、本願方法が後記の通り「粗製澱粉材料ヲ水ニヨリテ洗滌スヘクスル段階ト該洗滌セル澱粉材料ヲハ…………直接ニ糖化処理ヲ受ケシムヘクルス段階トヲ組合」せることを一つの要素とするものであることを考え合わせれば、この鉱酸を含む水の使用は本願方法に於て極めて重要な一要素であることが明らかである。然るに審決がこの点を無視し、前記の通り両方法が純粋の水を使用する点に於て一致するとしたのは本願方法の解釈を誤つた違法がある。

(ハ)  審決は澱粉含有原料を洗滌又は攪拌処理する水の温度につき、本願方法が「低温若しくは常温」のものを使用するのに対し、引用例が「澱粉の糊化温度以下の温水」を使用する点に差異のあることを認めながら、「洗滌水としての本願の低温若しくは常温の純水即ち冷水と引例の温水とは斯かる材料から鉱物質を除去するためのものとしては均等物と認め」られるとしているが、澱粉の糊化温度は澱粉の種類により相当の相違があるけれども大略摂氏五〇度乃至七〇度であり、引用例に於ける糊化温度以下なる温度は引用刊行物記載の実施例中「摂氏四、五十度ノ温水」とあることにより明らかであるように、右に準ずる程度の高温であり、而も実施例によればこの高温の水を「原料に対し約四倍量」の多量を必要としており、更にこの多量の水の温度を二時間に亘り維持しなければならないこととなつているのに本願方法に於ては井泉等から汲み取つた水をそのまま使用し得ることとなつており、両者を比較すればその費用と時間と労力の点に於て雲泥の差異が存する。然るに審決が前記の通り両方法の洗滌水を均等物としたのは本願方法の解釈を誤つた違法がある。

(ニ)  審決は澱粉含有原料を洗滌する装置につき、本願方法が「拡散式或は浸漬式の装置」を使用することに限定しているに対し、引用例が「洗滌装置を限定しない点」即ち単に攪拌処理するものである点に差異のあることを認めながら、只「系統的洗滌に用いる拡散式或は浸漬式の装置は…………従来周知のものに過ぎない」として本願方法の新規性を否定している。右の点につき本願方法と引用例とを比較するに、引用例は只澱粉含有原料を温水を以て攪拌すると言うに止まり、この攪拌処理によつては尚徹底的に夾雑物を除去することが不可能であつて、そのことは引用刊行物中「而シテ斯ル糖原液ハ如何ニ精製セラレタル原料ヲ使用スルト雖モ尚ホ多少の夾雑物ヲ含有スルト同時ニ澱粉質其物モ高圧高温度ノ下ニ酸ヲ作用セラルルカ故ニ糖化後ニ於テハ幾分原液ノ着色は免レスシテ淡褐赤色ニ着色ス ルモノトス」との記載に徴し明らかである。然るに本願方法は単に系統的に洗滌するだけでは足るとせず、滲出装置若しくは浸漬装置なる手段により系統的に洗滌されることを必要としている。即ちその発明の詳細なる説明中の実施例の第一には「水分十二%ヲ含ム粗ク粉砕シタル「マニオニツク」百瓩二十個ノ槽ヲ直列ニ連結シテ成ル滲出装置又ハ浸漬装置内ニ於テ…………洗滌ヲ行フ」と記載し、実施例の第二及び第三に於ても同様の手段を使用する旨を記載しており、このように多数の滲出装置又は浸漬装置を直列に連結し、第一次の滲出装置に於て洗滌した澱粉を第二次の滲出装置又は浸漬装置に於て更に洗滌し、以下順次同様の方法を繰り返えすのであつて、このような方法によれば原料は洗滌槽の一組の中で逆の方向に流れる洗滌液に接触させられ、絶えず各瞬間に於て除去すべき物質をより少ししか含まない液に接触し、このようにして鉱物質の除去は完全且徹底的にされるのである。凡そある方法が客観的にそれ自体として公知であつたとしても、一定の目的にその方法を使用することが新規であり、且従来の方法に比較し著大な効果を発揮するときは、その目的との結合に於て之に新規性を認めなければならないのに、審決が本願方法の前記の重大な効果を無視してその新規性を否定したのは本願方法の解釈を誤つた違法がある。

(ホ)  本願方法は鉱物質物質を除去した澱粉含有原料をそのまま糖化処理するもの、即ち糖化処理するに当り粗製澱粉材料より特に鉱物質の不純物のみを除去すれば足るとするものである。之に対し引用刊行物記載の方法は無機性の不純物のみならず有機性の不純物をもすべて除去することを必要とするものであつて、そのことは引用刊行物の記載中「澱粉糖製造原料タル粗製澱粉含有物ハ多ク植物ノ根、茎、実等ノ部分ニ一種ノ栄養分トシテ作ラレタルモノナルヲ以テ澱粉質以外ニ其種類ニヨリ脂肪、蛋白質及有機無機性ノ塩類其他二、三ノ特種ノ夾雑物ヲ含有ス故ニ此等澱粉以外の夾雑物ハ其夾雑物カ酸ニヨリテ加水分解ヲ起ササル以前ニ於テ澱粉ヨリ分離スルヲ必要トス」なる記載に徴し明白であり、引用刊行物記載の方法はこの目的を達する為、

(1)  澱粉含有原料を出来得る限り微細な粉末状態とし之を温水(糖化温度以下)を以て約二時間攪拌し、粒の外面に附着する可溶性の夾雑物を除去し、

(2)  然る後有機性夾雑物に対しては分解反応緩漫なるも澱粉に対しては加水分解作用を有する有機酸を原料に対し約三「パーセント」だけ一般糖化法と同様に適宜の水と混合して沸騰させ、之に前記水洗原料乳を送入し、その夾雑物の分解しない程度即ち約十乃至十五封度の圧力の下に迅速に約一分間処理して澱粉質をして可溶性澱粉状態に変化せしめ、このようにしてその熱時に於て夾雑物を完全に瀘過分離し、

(3)  然る後この夾雑物を完全に分離した澱粉に糖化作用を施す、

のであり、この三段階は密接不可分の関係に立つ。従つて(1)の方法から仮に本願方法に於ける鉱物質物質除去の方法が容易に実施され得ると仮定しても、(1)の方法が公知であると言う事実から、(1)の方法で処理したものを(2)の過程を経ることなく直ちに糖化処理すると言う本願方法が容易に導き出される理由はない。然るに審決が「本願方法は粗製澱粉材料を公知の拡散式或は浸漬式の洗滌装置を用いて水で系統的に洗滌し含有する鉱物質夾雑物を溶解除去し、そのまま酸糖化するに過ぎないもので、このようなことは、前記引例の澱粉を酸糖化するに先だち粗製澱粉材料を温水で処理して含有無機性夾雑物を除去する公知事実から当業者の容易に実施し得られる程度のもので発明を構成するものと認めることができない」とし、本願方法に於ける鉱物質物質を除去した澱粉材料をそのまま糖化することも又右(1)の方法が公知であると言う事実から当業者が容易に実施し得る程度のものであると結論したのは論理を飛躍せしめたものであつて、理由不備の違法があり、又は本願方法の解釈を誤つた違法がある。

よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだ。

と陳述した。

被告指定代理人は事実の答弁として、

原告の請求原因事実中一及び二の事実を認める。

三の主張はこれを否認する、すなわち、

(イ)の主張につき、本願発明の明細書に於て粗製澱粉材料の形(粉砕度)を限定していないと言うことは、粗製澱粉材料はその含有夾雑物を溶出させる場合にこの種溶出操作に於て普通に採用される形態を採ることを意味するものと解さなければならない。而して一般に夾雑物を溶出して精製品を採取しようとする際には溶剤(洗滌剤)と被処理物の各粒子をよく接触させる目的で被処理物を粉砕しており、その粉砕度は作業の難易、精製の程度その他に応じて粗い場合もあれば、微細に迄粉砕される場合もあり、適宜に当業者により決められている。従つて粗製澱粉材料を本願発明の実施例のように粗く粉砕するこも、引用刊行物記載のように微細に粉砕することも夾雑物を溶出させる為の従来普通の原料の加工法に過ぎないものと言わなければならない。要するに本願発明に於て粗製澱粉材料の形(粉砕度)を限定していないと言うことは必然的にその何れの形をも採用できることを意味するものであり、そのことは本願発明の明細書第九頁第四行乃至第六行に「糖化前ニ於テ澱粉質物質ニ対シ鉱物質物質ニ関スル全部若クハ一部ノ排除ヲ行ハントスル一切ノ方法ハ本発明範囲ニ属スルモノトス」なる記載が存することから見ても疑の余地はなく、即ち本願発明は粗製澱粉材料を微細な粉末状態のものとして処理する場合をも包含していることが明らかである。故に審決に於て本願の粗製澱粉材料の形について何等限定するところがないから、勿論引用例のように粉末状態のものとして処理しても差支ないものと認めたことについては原告主張のように本願方法の解釈を誤つてはいない。

(ロ)の主張につき、本願発明の明細書全体の記載から見て明らかなように、本願発明に於て粗製澱粉含有物を洗滌又は攪拌処理するものは純粋な水又は鉱酸を含有する水となつているから、本願発明に於て粗製澱粉含有物を洗滌又は攪拌処理するものは必ずしも鉱酸を含有する水でなければならないと言うのではない。而して引用例に於て使用される温水も純粋な水に外ならないから本願発明に於て純粋な水を使用する場合と少しも変らない。従つて審決が粗製澱粉材料より鉱物質物質を除去する上に於て両者を均等視したにつき何等本願方法の解釈を誤つてはいない。

(ハ)の主張につき、不純澱粉から無機塩類等を除去する作用のあるのは水であつて、温水に止まらないことは本願発明の特許出願前から周知事項である(後記乙第二号証第一九九頁、第二〇八頁参照)から、審決が引用例の温水と本願発明に於て使用する冷水とを均等視したことについては原告主張のように本願方法の解釈を誤つてはいない。

(ニ)の主張につき、本願発明の明細書第九頁第四行乃至第六行にある「糖化前ニ於テ澱粉質物質ニ対シ鉱物質物質ニ関スル全部若クハ一部ノ排除ヲ行ハントスル一切の方法ハ本発明範囲ニ属スルモノトス」なる記載から見て、本願発明に於ては鉱物質物質の除去は完全且徹底的に行う必要がないから洗滌手段を浸漬式電槽又は拡散式電槽による方法と特に限定しても意味がないばかりでなく、浸漬式又は拡散式の電槽は本願発明の明細書第六頁第五行以下にも記載されてあるように、従来周知のものであるから、この方法により澱粉の精製を行うようなことは当業者が容易になし得るところである。従つて審決が右の点につき本願方法に発明を認めなかつたについては原告主張のように本願方法の解釈を誤つてはいない。

(ホ)の主張につき、澱粉糖の製造に粗悪澱粉を原料にすると、製品を粗悪にし、酸の消費量を増大し、作業を困難にする等の不利があるので、本件発明の出願前から一般に精製した澱粉を原料として使用している。この為引用刊行物の場合には脂肪、蛋白質、有機、無機性の塩類を、又砂土、繊維素、蛋白質類、塵埃灰分等を含む粗製澱粉材料の糖化の場合には之等の夾雑物を除去分離するようにしているのであつて、之等夾雑物の内無機の塩類、砂土、灰分は明らかに鉱物質に属するものであるから、酸糖化に際し粗製澱粉材料より鉱物質物質を除去すると言う思想には何等新規性がない。而して酸糖化に不利をもたらす不純物は鉱物質のもののみに止まらないから、本願方法のように鉱物質物質のみを除去分離しても他の夾雑物が残存する以上前記の不利な点が全部解消するわけではなく、従つて原告の主張する粗製澱粉材料から特に鉱物質の不純物のみを除去すると言う限定は特別な作用効果をもたらす新規な発明的着想に基いてなされたものでないことも明らかである。畢竟粗製澱粉材料から鉱物質夾雑物のみを溶解除去し、その侭酸糖化するようなことは当業者が粗製澱粉材料に含有される不純物の種類や、その含有量並びに所望する澱粉糖の品質等に応じて発明思想を要せずしてなし得る原料の精製手段に過ぎないのであつて、審決が右の点につき本願方法を以て発明を構成しないものとしたのは相当であつて、原告主張のように理由不備又は本願方法の解釈を誤つたものではない。

と述べた。

原告等の訴訟代理人は被告の右主張に対し、

(一) 引用例の方法に於ける被告主張の粗製澱粉材料を微細に粉砕し之に摂氏四、五十度の温水を注ぎ約二時間攪拌すると言うようなことは蒸溜水を用いて行う基本的試験による結論であるが、一般には工業用水即ち井水又は河川水等が用いられ、之等工業用水には多分に鉱物質が含まれ、それが作用して澱粉の糊化を促進させる。従つて工業用水のあるものを用いた場合摂氏四、五十度前後でも澱粉の一部が糊化して可溶性となることが往々あり、引用例の方法のように二時間にも亘り工業用水を以て処理した場合多少の澱粉が糊化、可溶性となつて損失を来すに至るべく、之等の点を考慮した結果本願方法は酸の濃度と洗滌液の処理温度を制限したのであつて、この事実を無視して粗製澱粉材料を処理する水が均等物であるとする被告の主張は失当である。

(二) 引用例の方法では前記のように摂氏四、五十度の温水を使用する結果澱粉の一部が糊化し可溶性となつて溶出し損失される恐れがあるに反し、本願方法では拡散式又は浸漬式装置で系統的洗滌を施行することにより冷水又は常温水を用いて引用例の方法を用いた場合に生ずべき右の損失を防ぎ、且常温の下に処理して可溶性塩類を予め溶出除去することができ、右洗滌の過程の次に行われる酸糖化工程に於て酸の使用量を節約し得る効果があり、従つて両方法は全然別個のものであるから、本願の浸漬式電槽又は拡散式電槽による方法によつて澱粉の精製を行うことが当業者の容易になし得るところであるとする被告の主張は失当である。

(三) 被告は本願方法では単に鉱物質物質のみを除去するだけであつて粗製澱粉材料に含まれるそれ以外の糖化を妨げる物質(例えば脂肪、蛋白質)を除去しないから右方法は特許に値しない不完全なものである旨主張するけれども、本願方法のように洗滌液として少量の酸を含む水を用いれば蛋白質物質を自然に凝固叢合させることができ、又大部分の澱粉材料に含まれる脂肪、蛋白質等の不純物は極めて微量に過ぎないから、之等不純物は糖化作用には何等の影響も与えないのであり、従つて本願方法が実際的利益のない不完全なものであるとする右主張は失当である。

と述べた。

(立証省略)

理由

原告等の請求原因事実中一及び二の事実は被告の認めるところである。

而して成立に争のない甲第三号証によれば本件特許出願明細書の実施例には粗製澱粉材料を粗く粉砕し又は単に細断したものに対し本願方法を実施するものとしている外、同証その他本件にあらわれたすべての資料によつても右澱粉材料の粉砕の程度について何等限定されてあることを認め難く、右の事実に徴すれば、本願方法を実施するに右材料を粗粉砕することが有利であると推察し得るに止まり、材料粉砕の程度が本願の要旨の構成因子をなすものとは認め難く、即ち右粉砕度は粗くても細かくてもよく何等限定されていないものと解さざるを得ない。

又本願方法の洗滌水の温度については前記甲第三号証記載の本件発明の詳細な説明の項の中に適当な温度と記載してあり、同請求の範囲の項の中に低温若しくは常温と記載してあることが認められるだけで、他に右温度を示す何等の資料も存しないから右の事実に徴し本願方法の洗滌水の温度も高温を除く適当な温度と言う以外特に限定されていないものと解さなければならない。

よつて上述したところ及び右甲第三号証の記載内容により本願発明の要旨とするところを摘示すれば、粗製澱粉材料を粉砕し(その程度としては必ずしも微細にすることを必要としない)、之に高温ならざる適当な温度の純水又は鉱酸を含有する水で拡散式又は浸漬式装置を以て系統的に洗滌して右材料中に含まれた鉱物質物質を除去し、之をそのまま糖化処理をするにあるものと解することができる。次に成立に争のない乙第一号証(引用例の特許明細書)によれば同証には引用例の発明として、第一段階で粗製澱粉材料から水に可溶性の夾雑物を除去し、第二段階で有機性の夾雑物を除去したものを糖化する澱粉糖の製造方法の発明につき記載されてあり、又その発明の詳細な説明中には澱粉糖製造原料は澱粉質以外に脂肪、蛋白質及び有機無機の塩類その他の夾雑物を含有しているから予め之を分離する必要がある、澱粉含有原料を出来得る限り微細な粉末状態とし、之を糊化温度以下の温水中で攪拌して水に可溶性の夾雑物を除去する旨の記載が存することが認められ、尚右引用刊行物が本件特許出願前に特許出願公告せられていたことは当事者双方の明らかに争わないところであるからその通り自白したものとみなすべきであり、又成立に争のない乙第二号証の六には湿潤澱粉の精製に当り度々水を取り替えて洗滌すること及び之等に少量の硫酸を使うこともある旨記載されてあることが、同じく成立に争のない乙第二号証の三、四には右澱粉材料には無機塩類の外に酸化鉄、蛋白質類、脂肪質その他類似夾雑物が含まれ、之等は何れも酸を消費するから、夾雑物を考慮して余分に酸を加える必要がある旨記載されてあることが、夫々認められ、尚右成立に争のない乙第二号証の一乃至七によれば、同証は昭和十年五月中に発行され、昭和十二年三月十九日特許局陳列館に受け入れられた田中芳雄及び喜多源逸両名の共同著書の夫々表紙及び内容の一部であることが認められ、以上認定の及び当事者間に争のない諸事実に徴し澱粉材料を糖化するに当り、

(1)  右材料中に含まれる有機無機の夾雑物を除去しなければならないこと、

(2)  之等の夾雑物は酸を消費するものであること、

(3)  水に可溶性の夾雑物を除去する為澱粉が糊化しない程度の温水で材料を洗滌すること、

(4)  一般に澱粉精製の為の水洗には純粋の水又は鉱酸を含有する水が使用されること、

(5)  尚右夾雑物を除去する為予め材料をその程度は別として粉砕すること、

等の事項が本件特許出願で公知であつたものと解される。

よつて前記の本願方法が引用例の存在に於て発明たり得るか否かにつき審案するに、粗製澱粉材料からその中に含まれている夾雑物を除去する為予め之を粉砕することは右公知事項(5)に該当するところであり、その粉砕の程度につき、之を微細にすれば夾雑物の溶出には有利となるが反面原告主張のような微粉化する為の不利を伴うことが明らかであつて、本願方法に於て如何なる粉砕度が好適であるかと言うことにつき特定の基準は何等定められていないのであるから、畢竟右粉砕の程度は場合に応じて当業者が任意に決定し得るところであると解するの外なく発明を構成する因子とはならないものと解さなければならない。次に本願方法に於ける澱粉材料を適当の温度の水若しくは鉱酸を含有する水を以て洗滌することは前記公知事項(1)、(3)及び(4)に該当し、当業者が之を実施するに別段発明的の工夫を必要とするものと解することはできない。次に本願方法の洗滌を系統的に行うと言う点については、凡そ工業的に水洗をする場合に漫然と無系統的に行うことは通例あり得べからざることであつて、一定の順序方式に従つて系統的に之を行うのを常とすることは当裁判所に顕著なるところであり、従つて洗滌を系統的に行うと言う本願方法の限定は当然の事柄を示したにすぎないものであり、之に拡散式或は浸漬式等の公知の装置を使用したとしても(之等の装置が公知のものであることは原告に於て明らかに争わないから、その通り自白したものとみなさなければならない)、之等装置の採用に特別の意義を認めることができないから、本願方法の洗滌を系統的に行うと言うことも何等発明を構成する因子とならないものと言うべきである。

然らば本願方法は結局前記公知事項からすべて当業者が別段発明力を用いずしてなし得る程度のものであるから特許法第一条にいわゆる発明に該当しないものであり、審決が右と同一見解の下に本件特許出願を排斥したのは相当であつて、その取消を求める原告の本訴請求は理由のないものであるから、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決した。

(裁判官 原増司 武田軍治 高井常太郎)

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